コノフィツム栽培の歴史

先日、ヤフーオークションの書籍・雑誌を検索していたら、1973年(昭和48年)のガーデンライフ(知る人ぞ知る園芸雑誌)が何点か出品されていて、その中にコノフィツム特集(12月号)があったのでついつい購入してしまいました。図書館でも読めるのですが、やはり1冊手元に置いておきたいのがマニアというものでしょうか。分類など、既に古くなってしまった内容もありますが、ブームだった当時の様子を伺い知る事が出来、とても興味深いものです。この中に大西善明氏による「コノフィツム栽培の歴史」の記事がありましたので、概略を引用しておきましょう。

1922年(大正11年)  N.E.Brownがコノフィツム属(円錐形植物の意味)創設
大正末期〜昭和初期   日本に渡来
1931年(昭和 6年)   業者のカタログ及び同好誌に「コノフィツム」の名前が登場
1935年(昭和10年)  このころが戦前の輸入最盛期
1940年(昭和15年)  このころ80余種が栽培されていた
  -- 戦争による中断 --
1955年(昭和30年)  カタログに30〜50種がみえる(戦争を生き残った品種)
1960年(昭和35年)  このころ輸入再開
1964年(昭和39年)  正木五郎、田中喜佐太著「女仙」(錦園のサイト参照)刊行
  このころ田中喜佐太氏による'安珍'、'朱楽殿'、'紫雲殿'、'銀河'等の交配品種の作出
1966年(昭和41年)  日本コノヒツム協会誕生(注:原文のまま)
1970年(昭和45年)  このころまでに300種近くが株や種子で輸入。趣味家急増
1973年(昭和48年)  ガーデンライフ誌(この号)に特集

1973年の時点で、コノフィツムの分類で有名なヤコブセン氏は370余種* の原種を記載しており、これに加えて日本で選抜された個体や交配品種に二重三重に和名が付けられて、「正に戦国時代の様相」と、名称の混乱状態を示す記述も見られます。恐らくこのころがブームのピークで、生産過剰になっていったのでしょう。以前聞いた「増やし過ぎて困り、佃煮にしようと思った事もある」という業者の話もこの頃の事だと思われます。そしてその後は凋落の一途をたどることになったのでは無いかと想像しています。品種名の混乱はブームの後も続き、現在も拡大再生産しているようです。特に古いタビ型品種では、同じ名前で種々のタイプ、果ては花色の違うものまで出回っています。

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写真は'式典'
1977年頃、藤沢の紅波園より通信販売で購入したものです。正木五郎、田中喜佐太著「女仙」に登場する写真や記述と一致する個体です。'式典'は旧学名であるConophytum elishaeに対応する和名とされていることから、特定の個体を指す名称では無いようで、この個体だけを'式典'と呼ぶのは間違いなのかも知れません。


*) 原種数については、Steven Hammer氏は2002年に変種を含めて約160種としており、半数が絶滅したかのように見えますが、分類基準の見直しにより独立種だったものが品種レベル以下に統合されたことによります。
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by conocono123 | 2006-11-17 01:03 | メモ(備忘録)
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